モーニング娘。プロフィール!! No2
前回の続きです!
<転換期(2002年後半〜2004年)>
2002年7月31日に、後藤・保田の卒業発表やタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバー改変などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。
モーニング娘。ファンサイトおよび同卒業メンバーのファンサイト上で、このハロプロ構造改変は「7・31」「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている。」という意見もある)。
なおこの後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表されることになる。特に2003年8月の安倍の卒業決定から2005年5月の石川の卒業までの間は常に「卒業時期が既に決定しているメンバー」が在籍していた。
2003年1月、
「LOVEオーディション2002」の合格者発表(最終選考に残った亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人とも加入)を前に、2002年3月からソロで活動していた
藤本美貴の加入が発表される。
藤本も含め、メンバーは史上最多(2006年10月現在まで)の16人となる(但し16人での活動は同年5月開催の保田の卒業コンサートのみで、それまでに発売された2枚のシングルは12人で出している)。
2003年9月に、新展開として15人のメンバーを「モーニング娘。さくら組」「モーニング娘。おとめ組」の2つに分けての活動も開始。シングルCDを2枚ずつリリースし、それぞれ全国ツアーを行った。辻および加護の卒業後は正式アナウンスがないまま、2組とも活動休止状態となる。
2004年1月に長くエース格にあった安倍が卒業。さらに8月には辻・加護が揃って卒業、そして5月には飯田・石川の卒業も発表され、人気メンバーが相次いで卒業することになる。
2004年6月には幕張メッセで第1回モーニング娘。文化祭を開催。この時期には小池百合子環境大臣を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
2004年9月にメインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(「ラッキー7オーディション」)。しかし、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材が居ないという理由で、前代未聞の「該当者なし」という結果に終わった。
2005年1月、2代目リーダーの飯田が卒業し、結成当時のメンバーはすべて卒業した。
<以後の展開(2005年〜)>
2005年4月15日、3代目リーダーだった矢口が緊急脱退(理由は前述)し、吉澤が4代目リーダーに就任。
2005年2月より「モーニング娘。オーディション2005」を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。
2005年8月27日、27thシングルで「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント「モーニング娘。/色っぽいじれったい」発売記念東名阪握手サーキットを横浜・名古屋・大阪で開催。シングルDVD には応募コードは同封されず、シングルCDの売り上げ回復を狙う。
7期メン追加と同時のイベント効果により、オリコン初週は過去2作の累計を超えて 22ndの水準まで戻した。イベント戦略は初動にのみ効果があり、2週目以降の累計は前作同様であった。
2005年10月横浜で第二回
モーニング娘。文化祭開催。今回も環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけた。
2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦には、卒業メンバー(引退又は事務所を移籍した福田・石黒・市井を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった「LOVEマシーン」を歌った。
2006年7月には紺野が学業専念のため、8月には小川が語学留学のために卒業した。小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時にハロプロからも卒業となった。
ハロプロでの活動継続を公言しない卒業は市井以来、「勉学」による芸能活動休止は福田以来である。
前の卒業者である石川との間には1年2ヶ月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤と後藤の1年5ヶ月に次ぐ長さ。加入も計算に含めた、同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1ヶ月を上回り最長となる。同一メンバー構成でシングルを4枚リリースするのも、過去最多記録である(これまでの記録は2nd〜4th、13th〜15th、16th〜18th並びに19th〜21stのそれぞれ3枚)。
2006年8月より「モーニング娘。HAPPY8期オーディション」を開催。また、同月1日から27日まで「リボンの騎士ザ・ミュージカル」を開演し、舞台の宣伝を兼ねたテレビ出演が増加した。

